立花真由美×株式会社エナジー×アロハシャツの歴史

株式会社エナジーは世界中の人々の暮らしを
支える会社になっていきます☆

Aloha~!!
株式会社エナジーは日本やハワイだけでなく世界の国々をさらに発展させ、人々の暮らしを支える会社になっていきます。

ハワイの正装といわれるアロハシャツ。
カラフルな色と柄、サラリと柔らかな肌触りの布地が私は大好きです。

ハワイで生まれ、今や世界中で愛されているアロハシャツですが、
そのルーツは意外にも日本と関わりがありました。

本日はアロハシャツの歴史について紹介します。

1. アロハシャツの起源

19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、多くの日本人が夢を求めてハワイに移住し、
主にサトウキビ畑の労働者として働きました。
当時農園で働く労働者たちが着ていた作業着は「パラカ」と呼ばれる開襟シャツでした。

パラカの起源は、もともとヨーロッパの船員たちが着ていた上着だといわれています。
青いチェック柄の木綿地で作られたパラカは、日本人にとってなじみの深い「絣(かすり)」に風合いがよく似ていました。
そのため多くの日本人移住者もパラカを愛用していたといわれ、これが現在のアロハシャツの原型になったといわれています。

2. パラカは「もったいない」の気持ちから生まれた

日本人移住者たちは、日本から持参した着物をとても大事に着回してきました。
その着物が擦り切れて着物としての用を足さなくなったとき、まだ使える部分を仕立て直し、子ども用のパラカ風シャツとして再利用しました。

「もったいない」の心から生まれたそのシャツは、着物独特の色や柄が現地の人々にとって
新鮮でエキゾチック、とてもオシャレに映ったとのことです。

1900年代のはじめに、そうした着物のシャツを見た現地の人々が、それを真似して市販の着物や浴衣の生地でシャツを作って着るようになったようです。

これがアロハシャツの原型です。

3. 発展するアロハシャツ

1935年以降、アメリカの経済は大恐慌の不景気から徐々に回復し、アメリカ本土の人々が西海岸からハワイに観光で訪れる数が増えました。

日系人だけでなく、現地ハワイアンたちの間でもアロハシャツが親しまれるようになっていました。

それを見た米国本土からの観光客たちは、ハワイを訪れた記念としてアロハシャツを買い求め、本土へ持ち帰るようになりました。
こうして着物地のシャツはハワイ名物として徐々に広まっていき、現在の「アロハシャツ」のルーツのなったのです。

当時の新聞には、アロハシャツを扱う店の広告が年々増え、ハワイを訪れたハリウッド俳優達が誇らしげにアロハシャツを着ている写真などが掲載されています。

アロハシャツ人気を支えていた街の仕立て屋の一部は日系人が営んでおり、アロハシャツ発展の歴史の影には常に日系人の存在があったことがうかがえます。

アロハシャツの発展を支えた日系人のように、株式会社エナジーは日本やハワイを含めた世界の国々をさらに発展させ、人々の暮らしを支えられる会社になっていきます。

これからもよろしくお願いします。

3月1日オープン
ハワイアンセレクトショップ「ALOHA」

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株式会社エナジー 代表 立花真由美
【所在地】
大阪府大阪市北区大淀南2丁目2−43
【事業内容】
ハワイアンセレクトショップ「ALOHA」の運営、輸入品販売
【ホームページ】
https://co-energy2018.com/
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